| |
|
さようなら、我が子 |
2008年02月11日 18:20 |
先月のことだ。週末、用事があって夫の実家の新潟に来ていた。帰りがけに、体調が若干思わしくないので一応近くの病院に寄ってみた。絶対安静。そのまま入院することになった。二人で東京に帰る予定だったので、独りで新潟に取り残されるかと思うと涙が出た。子どもの頃から心身が弱く、みんなと一緒に行動することができなくて旅先で宿に残された経験が多く、自分の中のトラウマなのだ。こういうとき、いつも独りで朝から晩まで、みんなが宿に帰ってくるまで失神するほどに泣き叫んだものだ。
夫も一緒に病院で一泊してくれることになった。翌日仕事があるだろうから明日は一人で帰っていいと告げた。独りで頑張ろうと思った。
素敵な病院だった。内装が綺麗で、ホテルのような部屋、優しいピンクのカーテン、患者にとって、とても癒される空間だ。代わる代わる見に来てくれる看護士の方が、どなたも親身になっていろんなことを話してくれた。そして先生は、診察結果を非常に細かく、丁寧に説明してくださった。新潟へ来る直前に東京の病院で見てもらったのが大雑把かつ誤診だったということも分かった。新潟など、行ける状態ではなかった。
その日の深夜、流産。死んだ。原因は、無理をしたとか私の不注意によるものではなく、主な原因としては染色体異常であることが考えられ、2週間前にはすでに胎児の発育が止まっていたとのこと。
翌朝、全身麻酔で子宮内を元の状態に戻す手術が行われた。手術室の前で私を見送る夫の姿が目に焼き付いた。とても信頼できる先生だったので、特に緊張はなかった。手術室はステンレスに囲まれた無機質なシェルター。みんな薄緑の服を着てマスクに帽子。「○○100mg入りました」「△△100mg入りました・・・」ついに全身麻酔薬が注入された。何も変化は起こらない。と思った3秒後、ギュイーンと頭が鳴った。人の話し声がうねり始め、どんどん高音になって、機械音になって、超音波になって消えていった。
次の瞬間、体がふわりと宙に浮かんだ。さあ、出発だ。私は小さな透明のカプセルに乗り込んだ。無重力の宇宙、カプセルはものすごい勢いでレールの上を進み始めた。光と闇が交互に訪れる。ついに光の速度に達した。Matrixだ。ここは本物のMatrixなんだ。映画のCGどころじゃない、もっと凄い。初め広大だった宇宙は、次第に細いホース状になり、ミクロのパイプの中をもの凄い勢いで走り抜けた。永遠に続き、うねる幾何学模様。音も色もほとんどなく、メタリックに薄緑の空間。何度カプセルを乗り換えただろう、ついにカプセルは私の脳細胞の中に到達した。そこでは、脳が電気信号を送受している様子が見えた。人間は電気信号で出来ている。苦しみも悲しみも、愛も喜びも、すべてはこのとんでもなく複雑な電気信号の為せる技なのだ。いつのまにかカプセルは消えて、私の体はどんどん狭い管の中を走っていた。止まらない。どこまで行ってしまうんだろう。ここまで来たらもう元の世界には戻れない。止まらない、止めて、助けて、助けて。声にならない叫び。大きな恐怖の中にいた。
と、一瞬、いきなり手術室の天井が現れた。頭が混乱した。また一瞬、見えた。次第に間隔が狭まり、混線しだした。ものすごく遠くから、誰かが呼ぶ声がする。「フルカワさん、終わりましたよ。フルカワさん、分かりますか。」私は、「あ」と返事をした。そうだ、手術をしていたんだ。
それから寝たままガラガラと手術室を出て、病室に寝かされたのはおぼろげに記憶している。朦朧として周囲の状況はほとんど把握できないが夫がそばにいるのだけはすぐに分かった。必死で名前を呼んだ。「あ」「あ」全く動けないので眠っているように見えるだろうが、夫が何をしてくれているか、どんなに気遣ってくれているかは全部分かっている、そのことを伝えたかったのだが、口さえも動かない。それから、体験したことのない強烈な痛みに耐えて、2時間ほど経っただろうか、次第に、周囲の状況が見えてきた。少し体が動くようになり、少し言葉が話せるようになった。夫にMatrixのことを話した。先生に対しても感謝の気持ちでいっぱいだった。何もかもがパーフェクトだった。結果としては、新潟に来て本当に良かった。たまたま日曜でもやっている病院に転がり込んだのだが、こんな良い病院、そうそう出会えるものではない。
その日の午後に退院した。義母が車で迎えに来てくれて、また授かるから、と優しく温かくなぐさめてくれた。東京に帰った。私が寝ている間に、夫が夜の食事を作ってくれた。料理ってこんなに良い香りがするものなんだな、と思った。寝ている間に風呂の掃除までしてあった。
次の日、手術のことを、病院のことを、思い出していた。トイレで胎児がコロンと出てしまったことや、病院で履いたスリッパ、その日着ていた洋服、病院にあったものすべてが疎ましく、忌まわしく、全裸で手術台に縛り付けられていたことが恐怖の体験となって、私の心に迫ってきた。もうあんな病院のこと、思い出したくなかった。でも、夫が教えてくれた。みんな私の体をかわいがって、助けてくれたのだと。その言葉に救われた。
もうこのお腹には誰もいない、お酒も飲める、コーヒーも飲める、栄養を考えて牛乳を飲んだり野菜を食べたりしなくてよい、走っても運動してもよい、安産のお守りはもう要らない。日常生活の端々に、いつのまにか存在していた我が子。喪失、死、別れ。それは、いっぺんに失うものではなく、そうやって日々少しずつ、失っていくものだ。
一番の幸せは、夢を叶えることでもなく、目標を達成することでもなく、人の為に生きること、なのだろう。それは家族でも、社会に対してでもよい。ほんの短い間だったが、この体に2つの魂が宿っていると思うと楽しかった。とても可愛がっていた。自分の為だけでなくこの子の為に生きていた。つかのまの夢を見せてくれたこの子と、私の周りのすべての人に、すべての幸運に、感謝している。
 |