スペースクルーズ - Space Cruise
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serio's blog

    新しいカメラ 2008年04月12日 03:55

コンパクトカメラの新しいのを買った。一眼レフはあらかじめ撮影目的が定まっている時のカメラで、これは常に持ち歩く用のカメラ。店員さん何人かに聞いて、デザインと性能のバランスで、Nikon COOLPIX S700を買った。超小型軽量。特に夜景の撮影に適しているとのこと。画素数はどうでもよいから、レンズの良いものが欲しい。最大画素数で撮っていたら、パソコンの中でデータがかさばってしょうがない。ISO感度もそんなに気にしない。高感度時にざらつき具合をどれだけ軽減できるかの方が問題だ。手ぶれよりもピンぼけの方が気になるので、その点で優れたものが欲しかった。

そしたらすごい。深夜の何も見えない真っ暗闇を撮影しても、こうこうと明かりがついているかのような写真が撮れる。目に見えないものが、映っているのだ。写真を見てはじめて、ああ、あそこにこういうものがあったのか、なんて知ることになる。自動でこれだけ撮れるという点では、一眼レフよりすごい。それでこの小ささ。

進歩したものだ。カメラは人の目を超えた。


    パッケージ萌え 2008年03月18日 12:28

素晴らしく美しい台所用洗剤があったので衝動買いした。事務所に帰ってスタッフに見せると、普通そういう買い方しないですよ、とのこと。本当なのか。だってみんな、車だって携帯だって、デザインで買うじゃないか。

「ファミリーピュア」、このペットボトルのしなやかなカッティング、宝石のような輝き。ピンクとマスカットの二種類がある。それが、今回、強敵が現れた。「キュキュット」のマスカット。爽やかで深い色合い。従来はオレンジとピンクグレープフルーツの二種類。このマスカットが売り場で何十本も整列した姿がなかなか幻想的でそそられる。詰め替え用パックはさらに透明感と輝きがある。「キュキュット」は洗剤の性能としてもNo.1だ。最も油汚れに強く、瞬時に汚れを落としてくれる。それでいて手にも優しい。

スパイス。お店で今まで「ハウス New Crown Ace」が並んでいたところに、ある日突然「S&B」が並ぶようになった。「ハウス New Crown Ace」は見当たらない。ショック。「S&B」のシルバーのパッケージのものに変わっている。しばらくたって、仕方なく「S&B」を買ったのだが、シルバーのパッケージを剥いてみたら中身は全く違って、ガラスにプリント、黒いフタ、意外にもカワイイではないか。

MDディスク。Sonyの「Neige」しか買わない。ここ10年ほど。フランス語で「雪」の意味。ほとんど透明で、端に小さく白い文字。シンプルで、デザインされ尽くしている。何度かマイナーチェンジしたが、このミニマル感は健在だ。初代のものは、中央が半透明で、グレイの文字、本当に雪のようだった。

買い物時、何もかもが、こうして選ばれている。以前、黒ベースにキラキラの入ったパッケージのヨーグルト「ティアレンス」が売っていた。ぱっと見ヨーグルトに見えないし、何となく気味が悪いが、新発売なのでいちおう買ってみると、外観からの予想を裏切って、ものすごく普通のヨーグルトでがっかりした。中身をきちんと表現するパッケージって大事ではないか。ヨーグルトで真っ黒だと、ヨーグルト感がないし、全然そそらない。しばらくたって、白ベースの爽やかなパッケージに変わっていて、ほっとした。

キリンビールの缶のデザインが気に入ったので、全種類買った。


    歌いまつがい 2008年03月05日 02:14

最近テレビを見るようになった。 今日は歌いまつがいの番組をやっていて、面白かった。 お笑い番組より断然面白い。久々に笑い転げた。

私の中の歌いまつがい。 小学生のとき、隣の席の子が休み時間に歌っていた 素晴らしい歌いまつがいが印象に残っている。 面白いというより、深く感心した。

「うさぎうさぎ なにみては ねる じゅうごやおつきさま みては ねる」

音楽の教科書を見て、たしかに歌詞のとおりに歌っているのだが、 微妙な違和感を覚えた。てにをはの「は」を「わ」と読んでいる。 全く間違っていない。意味合い的にもむしろ良い感じだ。

私は頭がかなり固い方なのだけど、こういう柔軟な発想を 身につけるにはどうしたら良いのだろう。


    ストーリーから抜け出せずに 2008年03月03日 23:10

先日テレビで、映画「それでもボクはやってない」を見た。 今日も私は加瀬亮になっている。明日も明後日も、たぶんそうだろう。

素晴らしい演技だった。 細かな心の動きが微妙な目の表情で全て表現されていて、 いつのまにか、自分自身も映画の主人公になっていた。 見終わって、自分の中ではそのストーリーが十倍くらいに膨れ上がって、 見終わったことにも気付かないくらい、続きのストーリーを描いていた。

いつも、男性の主人公に心が乗り移ってしまう。 女性には、ならない。 表現の素晴らしい人にすぐ惚れ込んでしまうのだ。 そして惚れ込むと同時に、自分もその人に、なっている。 それが何日も続く。自分の言動、立ち居振る舞いすべてが、なっている。

最近、若手で才能のある俳優が多くて非常に楽しい。 最近いちばん注目しているのは、山田孝之だ。 ドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」、映画「電車男」、 ドラマ「白夜行」、ドラマ「タイヨウのうた」、 映画「そのときは彼によろしく」、映画「手紙」、 ドラマ「WATER BOYS」、他多数。 どれも繊細で内面の奥深い描写が素晴らしく、「白夜行」に関しては、 1ヶ月くらいどっぷり余韻から抜け出せず、山田孝之に、なっていた。 完全に心を持っていかれていた。 人が強度の恐怖心を抱いた時に瞳が震えることがあるが、 それまでが演技で再現できるところが、本当に凄い。

「デスノート」の松山ケンイチの演技も非常に注目されるところだ。 「L Change the World」の、Lがずらりと並んだポスターを見ていると 至福の境地に至る。心の奥まで突き刺さるような異常とも言える視線。 CMで、携帯をつまみ上げるしぐさが何とも可愛らしい。

女性では、沢尻エリカが気に入っている。 とても可愛いし、自分が自分であろうとする姿、 いつも自然体の自分を探していて、それでいていつも何かを演じていて、 見るたびに違って新しい。100の顔を持つ女優だ。 いや、女優というより、アーティストだ。

あと、綾瀬はるかの表情が良い。とても可愛い。 天然ボケだったり、殺人犯だったり、お嬢様だったり、 いろんな顔を器用に演じ分けている。演技に迫力があり、 山田孝之との迫真の演技が非常に輝いていた。

今ハチクロの花本はぐみ役をやっている成海璃子。 ミラバケッソも受験の神様も、ちゃんと別人に見えるところがすごい。 15歳とは驚きだ。それぞれの役柄の雰囲気づくりを完璧にこなしている。

演技が良いというのは、 人の心を理解する力がある ということだ。素晴らしい能力ではないか。

TSUTAYAさん、ありがとう。我が家のホームシアターは快適です。


    さようなら、我が子 2008年02月11日 18:20

先月のことだ。週末、用事があって夫の実家の新潟に来ていた。帰りがけに、体調が若干思わしくないので一応近くの病院に寄ってみた。絶対安静。そのまま入院することになった。二人で東京に帰る予定だったので、独りで新潟に取り残されるかと思うと涙が出た。子どもの頃から心身が弱く、みんなと一緒に行動することができなくて旅先で宿に残された経験が多く、自分の中のトラウマなのだ。こういうとき、いつも独りで朝から晩まで、みんなが宿に帰ってくるまで失神するほどに泣き叫んだものだ。

夫も一緒に病院で一泊してくれることになった。翌日仕事があるだろうから明日は一人で帰っていいと告げた。独りで頑張ろうと思った。

素敵な病院だった。内装が綺麗で、ホテルのような部屋、優しいピンクのカーテン、患者にとって、とても癒される空間だ。代わる代わる見に来てくれる看護士の方が、どなたも親身になっていろんなことを話してくれた。そして先生は、診察結果を非常に細かく、丁寧に説明してくださった。新潟へ来る直前に東京の病院で見てもらったのが大雑把かつ誤診だったということも分かった。新潟など、行ける状態ではなかった。

その日の深夜、流産。死んだ。原因は、無理をしたとか私の不注意によるものではなく、主な原因としては染色体異常であることが考えられ、2週間前にはすでに胎児の発育が止まっていたとのこと。

翌朝、全身麻酔で子宮内を元の状態に戻す手術が行われた。手術室の前で私を見送る夫の姿が目に焼き付いた。とても信頼できる先生だったので、特に緊張はなかった。手術室はステンレスに囲まれた無機質なシェルター。みんな薄緑の服を着てマスクに帽子。「○○100mg入りました」「△△100mg入りました・・・」ついに全身麻酔薬が注入された。何も変化は起こらない。と思った3秒後、ギュイーンと頭が鳴った。人の話し声がうねり始め、どんどん高音になって、機械音になって、超音波になって消えていった。

次の瞬間、体がふわりと宙に浮かんだ。さあ、出発だ。私は小さな透明のカプセルに乗り込んだ。無重力の宇宙、カプセルはものすごい勢いでレールの上を進み始めた。光と闇が交互に訪れる。ついに光の速度に達した。Matrixだ。ここは本物のMatrixなんだ。映画のCGどころじゃない、もっと凄い。初め広大だった宇宙は、次第に細いホース状になり、ミクロのパイプの中をもの凄い勢いで走り抜けた。永遠に続き、うねる幾何学模様。音も色もほとんどなく、メタリックに薄緑の空間。何度カプセルを乗り換えただろう、ついにカプセルは私の脳細胞の中に到達した。そこでは、脳が電気信号を送受している様子が見えた。人間は電気信号で出来ている。苦しみも悲しみも、愛も喜びも、すべてはこのとんでもなく複雑な電気信号の為せる技なのだ。いつのまにかカプセルは消えて、私の体はどんどん狭い管の中を走っていた。止まらない。どこまで行ってしまうんだろう。ここまで来たらもう元の世界には戻れない。止まらない、止めて、助けて、助けて。声にならない叫び。大きな恐怖の中にいた。

と、一瞬、いきなり手術室の天井が現れた。頭が混乱した。また一瞬、見えた。次第に間隔が狭まり、混線しだした。ものすごく遠くから、誰かが呼ぶ声がする。「フルカワさん、終わりましたよ。フルカワさん、分かりますか。」私は、「あ」と返事をした。そうだ、手術をしていたんだ。

それから寝たままガラガラと手術室を出て、病室に寝かされたのはおぼろげに記憶している。朦朧として周囲の状況はほとんど把握できないが夫がそばにいるのだけはすぐに分かった。必死で名前を呼んだ。「あ」「あ」全く動けないので眠っているように見えるだろうが、夫が何をしてくれているか、どんなに気遣ってくれているかは全部分かっている、そのことを伝えたかったのだが、口さえも動かない。それから、体験したことのない強烈な痛みに耐えて、2時間ほど経っただろうか、次第に、周囲の状況が見えてきた。少し体が動くようになり、少し言葉が話せるようになった。夫にMatrixのことを話した。先生に対しても感謝の気持ちでいっぱいだった。何もかもがパーフェクトだった。結果としては、新潟に来て本当に良かった。たまたま日曜でもやっている病院に転がり込んだのだが、こんな良い病院、そうそう出会えるものではない。

その日の午後に退院した。義母が車で迎えに来てくれて、また授かるから、と優しく温かくなぐさめてくれた。東京に帰った。私が寝ている間に、夫が夜の食事を作ってくれた。料理ってこんなに良い香りがするものなんだな、と思った。寝ている間に風呂の掃除までしてあった。

次の日、手術のことを、病院のことを、思い出していた。トイレで胎児がコロンと出てしまったことや、病院で履いたスリッパ、その日着ていた洋服、病院にあったものすべてが疎ましく、忌まわしく、全裸で手術台に縛り付けられていたことが恐怖の体験となって、私の心に迫ってきた。もうあんな病院のこと、思い出したくなかった。でも、夫が教えてくれた。みんな私の体をかわいがって、助けてくれたのだと。その言葉に救われた。

もうこのお腹には誰もいない、お酒も飲める、コーヒーも飲める、栄養を考えて牛乳を飲んだり野菜を食べたりしなくてよい、走っても運動してもよい、安産のお守りはもう要らない。日常生活の端々に、いつのまにか存在していた我が子。喪失、死、別れ。それは、いっぺんに失うものではなく、そうやって日々少しずつ、失っていくものだ。

一番の幸せは、夢を叶えることでもなく、目標を達成することでもなく、人の為に生きること、なのだろう。それは家族でも、社会に対してでもよい。ほんの短い間だったが、この体に2つの魂が宿っていると思うと楽しかった。とても可愛がっていた。自分の為だけでなくこの子の為に生きていた。つかのまの夢を見せてくれたこの子と、私の周りのすべての人に、すべての幸運に、感謝している。


    誕生日 2007年10月29日 19:14

誕生日を迎えるたびに、この一年の抱負を考える。だが、前年の抱負が何だったか思い出せない。目標が見つからなかったのだ。たぶん。今がいい。それはとても幸せなことで、ある意味、目標なんて無い方が良いのだ。

ここに至るまでは、目標ばかり見ていた。走っていた。目標を達成すれば幸せになれる気がしていた。実際、たぶん半数の人は、喜びを感じるのだろう。残りの半数の人は、目標が達成されてしまうと同時に虚無感を感じる。私は後者のタイプだ。

もう一つ、誕生日を迎えるたびに思うのは、自分が「誕生」したのだという不思議、「死」に向けて一歩前進したのだという事実。自分が存在するのは一瞬で、あとは自分のいない時間が無限に広がっている。

そんな中でパートナーに出会えたことに感謝している。これは本当に大きな救いで、良い意味で目標を失うことになった。二人でいるだけで毎日が面白いので、友達に連絡をとることも忘れていた。そう、これを今年の改善点としよう。目標と呼ぶには薄っぺらなので、あくまでも改善点。友達ってどんな仲の良い人も連絡を怠っていると、親友から友達へ、友達から知り合いへ、降格していく。周りの人をもっと大切にしながら、今のままで。今のままでいるために必要なのは、停滞ではなく前進だ。

なりたい自分のイメージは、ある。それが今年の目標。


    音楽中毒 2007年09月10日 22:20

聴き過ぎだと思う。

すごく好きで聴いているというよりは、あくまでも、これは研究なのだ、と自分では思っている。みんなに良い音楽を提供したい、しなければならない。寝ている間も、もちろん聴いている。爆音が鳴ると、考え事をしなくて済むのでよく眠れるのだ。朝起きるとCDは止まって、耳にイヤホンがささっている。耳が痛痒い。そんな朝を迎える。昼だったり。bpm144。これが私のリズムだ。

私は努力家ではない。非常に怠慢だ。でも唯一音楽を聴くことに関しては無限に頑張れる。というか頑張らなくても出来る。

もちろん音楽なら何でも良いわけではない。私にはほとんどの音楽が薄っぺらに聴こえる。子供の頃は健常なる人間が薄っぺらに思えてしかたがなかった。今はそれぞれの価値が分かるようになったが。大人になって自分も健常なる顔をして過ごせる日がまさか来るとは思っていなかった。そんなこともあって、無意識のうちに、人の心に何かを届けることに使命感を感じているのだ。

世界で最も美しい音楽は波の音だと思う。

(写真はCyber-shot DSC-T1で撮影)


    ついに一眼レフ! 2007年06月19日 01:25

デジタル一眼レフカメラを買った。NikonのD80。大きくて重くて小回りはきかないので、 これは構えて撮るとき用ということで、 持ち歩き用は引き続きポケットサイズのCyber-shot。用途は、建築写真を外注せずに自分で撮ろうというのと、写真家としての復活を自分に期待して、といったところ。長いスランプにあったので。いいかげんに試し撮りしたのだが、何となく作品っぽく撮れてしまっているところが、やっぱり一眼レフ。


    世の中にもっとパーティーを! 2007年05月25日 20:47

(ここで言うパーティーとは、トランスなど ダンスミュージックのDJイベントのことです。)

世の中がおかしい。今に始まったことではないが。思うに、本来、人間の半分は生産者で半分は消費者なんだと思う。簡単に言えば、生産者はクリエイティブな人、消費者はそうでない人だ。でも実際、身の回りでは9割くらいの人が消費者として生活している。クリエイティブな素質を持っているにもかかわらず表現しないでいる4割の人の存在、これが世の中の歪みなのではないかと思う。一方、消費者の素質の人は、あまり社会との摩擦が起こらないので、自己表現を行う必要がないし、よっぽどの逆境に遭わないかぎり問題を起こさずに過ごせる。表現者の素質を持っているにもかかわらず、消費者をよそおって生活している人は、それによって自分を追い込み、歪んだ考えを持つようになり、 しかもそのことに気付いていない。一部の人は反社会的行動に走る。隠れた本当の自分を引き出すことが必要だ。それには、ちょっとした音楽などのアートに触れるだけでも充分、変わる。世の中も変わる。もっとクリエイティブの芽を出したらいいと思う。

ありがたいことに、ウチのパーティーでは、終わった後に 見事にゴミが一つも落ちていないことが多い。みんながいかに良いマナーを持っているか、いかに周りを見るゆとりがあるか、いかに地球のことを考えているか、それはとても大切なことで、そんなことが少しでも、音楽を通じて伝わったのなら、こんな嬉しいことはない。人はみんなで生きている。そんな気持ちになれるパーティーを作りたい。


    心の目で見るということ 2007年03月13日 22:17

やっと分かった気がする。ベタな表現であまり好きではなかった言葉だ。テレビである作家が言っていた。「物事を感情で見る」。

最近すっかりいい写真が撮れなくなってしまった。何を見ても何とも思わない。何も気づきがない。いろんなものに見慣れたのか、感性が鈍ったのか。20代の頃はまだ子どもだった。子どもの感性で大人の腕だから、何をやってもアートになった。物事を感情で見ていたと思う。創作の原点だ。

どうしたらアートをやり続けることができるだろう、と それが今、切実な悩みである。それくらいしか悩みがないほどに平和なのかもしれないが、アートがなくても日々過ごせてしまう気がすること、それが私の人生の価値としては危機なのだ。明日死ぬとしたら何をやるかって考えた時に、 人の心に残ることをする思う。それは結局長生きしても変わらない答えだと思っている。

数年前だと思う、9.11事件のニューヨークのWTCの跡地に 建設されるビルディングの候補CG展を見た。とても痛ましかった。今の流行なのか知らないが、斜めのラインを強調した ピサの斜塔のような建築物が非常に多かった。倒れたビルの跡に不安定なデザインはどうかと思う。頭の中で、あの事件がフラッシュバックを起こした。先日、本屋でそのデザイン採用結果を見つけた。広場を囲んで4つの塔が建っている。どのビルも地にしっかり足をつけ、空を突き刺したシンプルすぎるくらいごく普通の真っ直ぐなデザインだった。市民の喜ぶ顔が見えた気がした。こういう観点が、心の目で見るってことじゃないだろうか、と思ったら、まだまだアートをやれる気がした。今の自分に相応のアートのかたちを探そうと思った。


    悲しい曲? 2006年11月04日 01:35

仕事で曲を作った。M社のN製品の店頭用映像とイベント用映像に付けるBGMなのだが、ニュースキャスターの女性が「発明ニュース」とか言って製品を説明する映像に付ける音楽だ。マイナーチェンジも含め、10曲以上提案した。

最初の提案ですぐに気に入ってもらえたので、 後はマイナーチェンジで済んだのだが、 監督に、どの曲もとても悲しいね、何かあったの?って感じ、と冗談半分に言われた。悪い意味で言ったのではなさそうだが、自分ではとてもポジティブなつもりで作った。

1曲目にタイトルを付けた。自分では何となく 女性らしい花と雨のイメージのつもりでいたが、 隣の人に聴いてもらったら、 フォルメンテーラの海と言ったので、(Ibiza島の隣の島で、最も美しいビーチがある)言われればそんな気がしてきて、「Aquamarine」にした。

Aquamarine
http://art.spacecruise.net/music.php?MP3=aquamarine
Aquamarine (ambient mix)
http://art.spacecruise.net/music.php?MP3=aquamarine_a


    空が好き 2006年09月20日 03:03

言葉が出ない。イベントに来てくれたみんなとたくさん話したいんだけど、いつも挨拶だけで終わる。みんな来てくれたのに。みんな大好きなのに。

アートで表現する。

我が家から見る東京の空はそこいらの東京の空と違って、大きくて、丸い。でもこの空も、もうすぐ高層ビルで埋まるんだ。


    音楽と映像の融合 2006年06月14日 04:17

最近、音楽と映像の融合という言葉が聞かれなくなったが、ここにひとつ、融合の形を創ってみた。

稲荷 -INARI the God of Harvests-

http://art.spacecruise.net/music.php

北京でのライブが決まったとき、「日本」を紹介できる音楽を、と思って創り始めたら、こんなことが頭に浮かんだ。

光。目いっぱいの光。その奥に見えるもの・・・
夢の中でキツネが手招きをしている。招き猫なら見たことがあるが、招きキツネなんてあるものか。きっとただの夢にすぎない。

保土ヶ谷という古い宿場町に住んでいた。東海道五十三次にも出てくる程ヶ谷(保土ヶ谷)の宿だ。いつもその古い鎌倉街道を車で走って駅まで出て、駐車場から駅までの間、短い商店街を歩く。横浜駅からたった一駅とは思えない古びた街で、毎日通る保土ヶ谷駅の商店街は、あらもの屋、ぞうり屋、おもちゃ屋、着物屋、駄菓子屋、寿司屋、そば屋、床屋、茶碗とホース屋、時計とボール屋、、、挙げ出したらきりがない。もちろん、いつ見てもお客はいない。

この商店街を歩いていて、いつもはっとさせられるものがある。狭い路地の奥に見える真っ赤なもの。心をえぐるような赤。とっさに目をそむける。そうし続けて何年たっただろうか。北京行きが決まったとき、なぜか「あの赤いもの」を思い出し、少しばかり興味が湧いた。ついにあの路地に入る時が来た。

・・・そこにあったのは、小さな稲荷神社。おそるおそる中を覗くと、そこにいたのはなんと手招きをしたキツネだった。そしてその隣の行き止まりには、銭湯。しかも見たことがある。そういえば家の改築をしていておふろに入れなかった時、ここの銭湯に通ったものだ。まだ小学校3年生だったが、あの下駄箱もベンチも、当時と何も変わっていない。頭の中が、一気に白昼夢へと引き寄せられた。

保土ヶ谷にお稲荷さんは3つあるが、他のは地面に前足をついた普通のキツネだった。「稲荷」は収穫の神。たぶんお稲荷さんは年に一度だけ笑うんだ。稲穂を揺らして、収穫を喜んで。


    音楽が降ってくる 2006年05月29日 02:09

前日記のような理由で降ってきた曲。

桜雪 -Sakura Snow-

http://art.spacecruise.net/music.php?MP3=sakurasnow

机に向かって練り出したわけでもなく、それはただ突然降ってきた。慣れない仕事で心がキュウキュウに押し詰められた時だった。

作ったのは昨年だが、こんなことを思い出していた。・・・高校の入学式の日だった。もう春だというのに大雪が降って、みんな真新しい制服をびしょ濡れにしながら迎えたその日。凛として凍りついた空気の中、八部咲きのさくらは満開を迎えることなく散っていった。もしもさくらに心があったなら、さぞかし無念だったことだろう。

それにしても「さくら」を歌った歌の多さ、さすがは日本の国花。さくらというと思い出すのが、忠臣蔵でおなじみ、あの辞世の歌。「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとかせん」死に行く花のはかなさと無念、その後に吹き出す新芽。そのたびに、さくらは山の色を変え、世界を変える。さくらはドラマだ。

小さい頃によく思った。降りしきる雪を見続けていると、雪が降りていくのではなく自分が天へ昇っていくように見える。そんなふうに飛んでみたいと思っていた。もしこれが舞い散るさくらだったらもっとふんわりと飛べるだろう。さくら色に包まれて。


    感性を磨くということ 2006年05月16日 00:49

今が平和すぎるのかもしれない。「感じる力」が衰えている。日記を書こうと思うが、昔あんなに好きだった「書くこと」から離れてしまっていて、言葉が出ない。でも、まんざら悪いことではないと思っている。マイナスのことを思わなくなっているのだから。以前は日々の生活がマイナスだらけ、外では仕事ですり減り、家では親兄弟の言動に激しい矛盾を感じ、逃げ場を失った自分は、作品にすべてを吐き出し、作品を作らないと生きていくことが出来なかった。しかも自分が死ぬかもしれない瞬間をカメラにおさめるなど、無謀な表現で。マイナス要因は時としてアート的にパワーを発揮する。そんな表現方法に頼っていた。

その自分が、今は仕事をやめて家出をして、何一つ矛盾のない生活をして、自分のままに静謐に生きている。と同時に、そんな新しい自分にとまどって自分を出せずにいる。やっと今がスタート地点なんだ、たぶん。(この歳になってスタート地点が現れるなど思いもよらなかったが。)不足のない生活をした上で出てくるものをアートと呼べるようになりたい。「感性」って何だ?心の痛みを感じるのが「感性」でないならば、何を感じればよいのだろう。幸い、身の回りにはアーティスト友達が多い。そういう周囲からヒントを得つつある今日この頃だ。最後に、今はもう撮れない写真を添付しておこう。


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